パリオリンピックで2回目の五輪競技となったサーフィン。
会場となるタヒチ、チョープーはビッグウェーブが起きる事でも有名です。
今回はそんな波に挑むコナー・オレアリー選手に注目。
オーストラリア出身で小さい頃は内気な性格だったというコナー・オレアリー選手が
どのようにして日本代表に選ばれるまでに至ったのでしょうか?
家族やサーフィン歴を交えて見ていきましょう!
コナー・オレアリーのプロフィールは?
コナー・オレアリーのプロフィールは
- 氏名 :コナー・オレアリー
- 出身 :オーストラリア
- 生年月日: 1993年10月12日生まれの30歳
- 身長: 185㎝
- 体重 85㎏
- スタンス:グーフィー
コナー・オレアリーの母は元プロサーファーの日本人!家族は?
日本人の母とオーストラリア人の父、弟のリクさんという4人家族のコナー・オレアリー選手。
ご両親の出会いのきっかけはとっても運命的なものだったようです。
コナー・オレアリー選手の母の柄沢明美さんも元プロサーファーで、ショートボード女子グランドチャンピオンにもなった事がある実力者です。
コナー・オレアリー選手の母がサーフィンのツアーで訪れたオーストラリア東海岸で車のスリップ事故にあってしまい、その時に助けてくれたのがコナー・オレアリー選手の父であるフィンバー・オレアリーさんだったそうです。
ふたりはその後、遠距離恋愛で仲を深め結婚に至っています。
まさに運命の出会い、といった感じですよね!
でもこの出会いがなければコナー・オレアリー選手も産まれなかった訳ですから…奇跡的な出会いだったんですね。
コナー・オレアリー選手のご両親が結婚後、新居のオーストラリア、クナラビーチで産まれたのがコナー・オレアリー選手。
コナー・オレアリー選手はとても大人しい性格で中学生まではずっとサッカー少年だったようです。それでも高校生になるとサーフィンの小さな試合に出るようになり、サーフィンの楽しさに目覚めます。
コナー・オレアリー選手の母はとても面倒見が良く、日本からくるプロアマ問わないサーファーを自宅に招いていた事もあってコナー・オレアリー選手はサーファーに囲まれた生活の日々を送りました。
コナー・オレアリー選手は陸上でのトレーニングも始め、体がどんどん大きくなると急スピードで成長していったそうです。
コナー・オレアリー選手がQualifying Series(QS)で優勝し始めて4年余り。
コナー・オレアリー選手は2017年にはChampionship Tour(CT)入りを果たします。
この年のツアーを13位で終えると「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」も受賞。世界のトップサーファーに仲間入りしました!
コナー・オレアリーのスポンサーは?
パリオリンピック代表が決まった2024年3月、コナー・オレアリー選手は日本企業である「シチズン時計」とスポンサー契約を結んでいます。
「何よりシチズンという日本を代表する企業と契約できたことを大変光栄に思っています」と語り、「プロサーファーとして更に結果を出せるように頑張りたい」と決意を語っています。
コナー・オレアリーのオリンピックまでの道のり
ワールドツアーに集中していたコナー・オレアリー選手にとって、オリンピックはあまり意識していなかった大会だったそうです。
ただ、東京オリンピックで初めてサーフィン競技が採用され、若い頃から知っている五十嵐カノア選手が銀メダルを手にする所を見ると「オリンピックに出たい!」という気持ちが急に強くなったようです。
しかもパリオリンピックのサーフィン会場は自身が得意とするチューブの大きさであるタヒチのチョープー。
そんな時、コナー・オレアリー選手の母の知り合いからオリンピックの日本代表にならないか、と打診があったそうです。
オーストラリア代表よりチャンスが大きいと思ったコナー・オレアリー選手はそこから移籍を決断します。
決断したのが2022年5月だったものの、移籍手続きには一定の期間が必要。結局、移籍をして大会に出場が認められるのは2024年からとなりました。
その移籍までの間にあった大会にオーストラリア人として出場してしまうと、また移籍が伸びてしまうためやむを得ず欠場した大会も。
一部の人からは五十嵐カノア選手がとってきた日本代表の選手枠をとるために国籍を変更したんじゃないか、と陰口を叩かれることもあったんだとか。
それでも見事、日本代表を勝ち取ったコナー・オレアリー選手。
東京オリンピックで芽生えた夢をきちんと叶えたのは素晴らしいですね!
コナー・オレアリー選手は現在、2020年にオーストラリア人のステファニーさんと結婚してオーストラリアのレノックスに住んでいるいます。
コナー・オレアリー選手、もこれからも日本代表で活躍してくださいね!
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