山﨑康晃(やまさきやすあき)選手は1992年10月2日生まれの32歳。
山﨑康晃選手は帝京高校、亜細亜大学卒業で2014年にドラフト1位で横浜DeNAベイスターズへ入団しました。現在も横浜DeNAベイスターズ所属の投手。東京オリンピックの野球日本代表(侍ジャパン)選手です。
今回は山﨑康晃選手の母や出身をみてみました。
山﨑康晃の母は?ハーフなの?家族構成は?
山﨑康晃選手の母はフィリピンの人でベリアさん、父は日本人です。
山﨑康晃選手はハーフですね。
山﨑康晃選手の2歳上には姉の麻美さんがいます。
山﨑康晃選手の母のべリアさんは日本語を勉強するために19歳の時に来日し翌年に結婚。山﨑康晃選手の母は長女の麻美さんを出産し、2年後の1992年10月に山﨑選手を出産しました。
しかし、山﨑康晃選手が小学校3年生の時に両親は離婚し、帝京高校に進学するまで姉と共に母暮らしました。
山﨑康晃選手の母は20代前半で2人の子のシングルマザーとなり、故郷フィリピンに戻る事も考えたようですが日本に残ることを決意したそうです。
「おれは野球を続けたい」という山﨑康晃選手の言葉が決め手となったようです。
女手1つで2人の子供を育てるのは決して簡単ではないと思います。ですが子供の夢を応援したいという強い気持ちが山﨑康晃選手の母べリアさんを決断させました。
工場や飲食店で寝る間も惜しんで働き、子供と夕食を食べることも出来なかったそうです。そのことから山﨑康晃選手の母べリアさんの強い決意が伺えますね。
また山﨑康晃選手の父は料理人で、山﨑選手がプレーした少年野球のコーチも務めていたようです。
山﨑康晃選手にとっては少年野球での活動が父親と会える貴重な時間でもあったようですね。
山﨑康晃選手の姉の麻美さんはとても美人です。麻美さんのX(旧Twitter)があり、ご家族の写真がときどきあげられていました。山﨑康晃選手の姉はもう結婚してお子さんもいらっしゃいます。
山崎康晃選手の母の死因は?母からのネックレス
山﨑康晃選手の母べリアさんが亡くなったのは2021年10月28日。まだ51歳という若さでした。
山﨑康晃選手の母は亡くなる3年前くらいに大きな病の告知を受け、余命2年と言われ、闘病を続けていたようです。また、死因については遺族の意向により公表されておりません。
亡くなるまでの間、べリアさんの母をフィリピンから呼び寄せたり、同じマンションに部屋をもう一つ借りて家族最後の時間を過ごすなど山﨑康晃選手自身出来ることは全てやりきろうとしたそうです。
母親の闘病については周囲には明かしていなかった山﨑康晃選手。
「母親の事を言った事で周りに気を使われるのも嫌だった」
「でも見事に僕のパフォーマンスが崩れたのがその時期でしたね」と語っている山﨑選手。
いつも爽やかな笑顔が印象の山﨑康晃選手ですが、この時期はさすがにいつものパフォーマンスを続けるのは難しかったのでしょうね。
山﨑康晃の出身は?中学、高校、大学は?
山﨑康晃選手の出身は東京都荒川区です。東京オリンピックの侍ジャパンで一緒に活躍した鈴木誠也選手の出身も荒川区ですね。
山﨑康晃選手と家が近所で家族ぐるみの付き合いをしていた元プロ野球選手の森本稀哲さんに憧れ小学2年生の時に少年野球チームに入り野球を始めたそうです。
山﨑康晃選手は荒川区立八幡中学校出身です。中学に入ってからは大きな体格を生かし、かなりのスピードボールを投げていたようですがコントロールの悪さが致命的で…
「プロ野球選手になる」という夢をこの頃から持っていた山﨑康晃選手ですが
「あんなコントロールでプロに行けるわけないだろう」と、周囲からからの視線は冷ややかだったそうです。
山﨑康晃選手はオリンピック出場後、荒川区立八幡中学校をおとずれ、全校生徒の前でお話してくれたそうです。生徒たちは自分の中学校にますます愛着が湧いたそうですよ。
オリンピック代表選手の金のポスト、山﨑康晃選手のポストは西日暮里駅前にあります!
山﨑康晃選手は帝京高等学校に進学しました。
帝京高校は東京都板橋区にある私立の男女共学校で、偏差値は49~57、多数のプロスポーツ選手を輩出しています。
山﨑康晃選手は高校2年の時に夏の全国大会、3年では春の全国大会に出場し、いずれも準々決勝まで進出してプロ志望届を提出しました。
しかし山﨑康晃選手は2010年のドラフト会議で残念ながら指名漏れとなっています。
プロを諦めきれなかった山﨑康晃選手はプロ野球選手を多く輩出している亜細亜大学へ進学。大学3年目には日米大学選手権で最優秀選手を獲得し東都リーグのナンバーワン右腕とも称されました。
そして山﨑康晃選手は2014年のドラフト会議で遂にプロ野球選手の仲間入りします。
他球団との競合の末、横浜DeNAベイスターズへ入団となりました。
現在の山崎康晃は?
2022年のDeNAファンフェスティバルで山﨑康晃選手は残留の発表と共にここ数年の苦しかった胸の内をファンにも明かしています。
「2年前、非常に成績として思わしくないシーズンでした。最愛の母親を亡くし、本当に苦しい時間でした…」
しかし翌シーズンには守護神に返り咲いている山﨑康晃選手。
「本当に最後まで母親のパワーをもらっています」とも語っています。
山﨑康晃選手は母リベアさんからもらったというネックレスを肌身離さず着けている
そうです。
天国から応援してくれている山﨑康晃選手の母のパワーをもらい今シーズンもベイスターズの守護神として活躍してくれる事を期待しましょう。
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