一山麻緒の陸上歴、高校や学生時代は?移籍理由は結婚が大きかった?東京マラソン歴は?

パリオリンピック

一山麻緒(いちやままお)選手は1997年5月29日生まれの27歳。鹿児島県出身ので現在は資生堂に所属。

同じくマラソンの鈴木健吾選手、現在29歳と2021年に結婚。

一山麻緒選手の陸上歴について紹介します。

一山麻緒の陸上歴は

一山麻緒選手は小学校5年生から陸上を始めて約16年間の競技生活を送っています。

実業団に入って1年目から才能を伸ばしていきました。
一山麻緒選手は、2016年にワコールに入社します。そして、同年秋に行われた全日本実業団対抗女子駅伝に出場しました。1区を任され、いきなり21分50秒の区間新記録を出します。
2017年の2月に行われた日本陸上競技選手権大会では8kmの種目に出場し、21分50秒で優勝しました。さらに、9月にアメリカで行われたロックンロール・バージニア・ビーチ・ハーフマラソンでは、1時間13分49秒で優勝しました。
一山麻緒選手は2019年からフルマラソンへの挑戦を始めました。4月のロンドンマラソンに出場し、2時間27分で15位という成績を収めました。そして、見事MGC出場を決めました。
2019年7月の函館ハーフマラソンでは、自己新記録の1時間8分49秒で優勝します。
2019年9月に東京オリンピックの選考をかけたマラソングランドチャンピョンシップに挑戦しましたが、6位でその切符を逃してしまいます。

2020年全国都道府県対抗女子駅伝競技大会では、京都府として出場しました。ラストの9区を任され見事3年ぶりの総合優勝に導きました。2020年2月に行われた香川丸亀ハーフマラソンでは、1時間8分56秒で5位となりました。

最後の東京オリンピック選考レースとなる名古屋ウィメンズマラソンでは日本新記録となる2時間20分29秒で見事優勝しました。同時に、東京オリンピックの出場権を獲得しました。

2021年東京オリンピックで一山麻緒選手は見事8位で入賞します。タイムは2時間30分13秒と自己記録とはだいぶかけ離れた結果となり、悔しい結果となりました。

一山麻緒の高校や学生時代は?

一山麻緒選手が陸上を始めたのは、出水市立西出水小学校の5年生になってからです。
地元のスポ少の出水市陸上スポーツ少年団に入団しました。きっかけは、運動会で一位をとりたかったからだそうです。それから一山麻緒選手は出水市民駅伝に出場し、大会新記録を出しました。

一山麻緒選手の中学は地元の出水市立出水中学校です。
中学3年生のときに薩摩川内市の陸上大会で800mと1500mで大会新記録を出しました。
さらに、第10回ひとよし春風マラソンの3km部門で1位になりました。

一山麻緒選手、高校は出水中央高校へ進学しました。出水中央高校は鹿児島県出水市の私立高校で、運動部が強い高校です。
一山麻緒選手が3年生の時に、全国高等学校総合体育大会にの1500mと3000mに出場しました。
どちらも予選落ちという結果に終わりました。なぜか一山麻緒選手が学生時代に全国大会に出たのはこの大会だけです。

オリンピック選手というと、小さい頃から全国などでその才能を開花させているのかと思いきやそうではありませんでした。
そして、高校卒業後は、大学へは進学せずに実業団への道を選びました。現在、うまく結果がでない選手にとって一山麻緒選手の活躍は勇気になると思います。

一山麻緒の移籍理由は結婚が大きかった!

一山麻緒選手はもともとワコールに所属していました。
ワコールは京都府のチームです。

一山麻緒選手は、2021年12月に富士通に所属する男子マラソン選手の鈴木健吾選手と結婚したことをインスタで報告しました。
富士通は関東を中心に活動しています。
そのため、ワコールでは遠距離での生活になります。
なので、同じく関東圏で活動する資生堂への移籍をしました。これについては、一山選手のインスタでも発表されました。
そして、2022年3月31日にワコールを退部しました。
さらに、驚くことにワコールの監督の永山監督も一緒に移籍しました。ワコールと永山監督の一山麻緒選手を育てようとする熱意が素晴らしいす。はそれほど、永山監督の一山麻緒選手の才能を信じているということでしょう。

一山麻緒の東京マラソン歴は?

一山麻緒選手は東京マラソンには2019年から挑戦しています。
その年は、非常に寒くて大会史上一番と言えるほどの悪条件でした。
初めてのフルマラソン挑戦で2時間24分33秒というタイムを残します。
日本人では最高の7位で満足のいく結果なのですが、2時間24分を切ることを目標としていたため、悔しい気持ちが大きかったようです。
さらに、海外勢の壁も痛感しました。

次は3年後の2022年に出場しました。この大会では2時間20分を切ることが目標でした。新谷仁美選手と2人で日本人トップ争いを繰り広げまた。そして、最終的には一山選手が抜け出しました。結果は、6位と前回大会の記録を上回りました。タイムは、2時間21分17秒と目標には届きませんでしたが、オリンピック後はあまり良い結果が出ていなかっただけに素晴らしいレースとなりました。

さらに、翌年の2023年の東京マラソンにも挑戦しました。スタートし最初はトップの集団に入っていましたが、10キロ手前あたりからペースが落ちてしまいました。タイムは、2時間31分52秒と前回、前々回とは全く違う結果となりました。かなりの悔しさに取材中涙が溢れ出ました。原因は、2022年末に左肋骨を疲労骨折したことです。復帰してからも思うように練習ができず、本番を迎えてしまったとのことです。いろんな悔しさがあったからこその涙だったのかと思います。

その悔しさをもって挑んだ2023年のMGCでは2位に入りパリオリンピックの切符を掴み取ることができました。

一山麻緒選手のこれからの活躍に期待大です。

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